懸待一致とは

剣道を考える

剣道の稽古においては体力や技の鍛錬だけでなく、理論を学ぶことも大切です。

四段以降は「指導者」の位であると言われますから、自分の中で理解するだけでなくそれを教えることができるように技能や理論を身に付け、より厚みのある剣道を目指しましょう!

懸(けん)は「かかる」というような意味で、剣道においては"攻める""打って出る"という意味になります。

待(たい)は「待つ」というような意味で、剣道においては"守る""相手の様子をうかがう"という意味になります。

攻撃は最大の防御

「攻撃は最大の防御なり」とはよく知られた言葉ですが、確かに相手が積極的に攻めてきている場面で自分が打って出るのは難しいと感じたことがある方も多いのではないでしょうか。

「懸待一致」もこれに似た言葉で、攻め(懸)と防御(待)は切り離すことができないものであると言えます。

攻撃することばかり考えていては打突の切れ目に姿勢が崩れたところを打たれるなどしますし、逆に守ることばかり考えていればいつまでたっても勝負になりません。

攻撃している場面でも防御に回っている場面でも、相手の動きをよく観察して変化に柔軟に対応していく心構えが大切だということですね。

稽古における意識

稽古の中で「懸待一致」を意識するというのはどういうことでしょうか。

ひとつには「姿勢」が挙げられます。

攻撃に集中するあまり姿勢が崩れれば相手にとっての打突の好機が生まれますし、防御する場面で体重が後ろに掛かってしまってはすぐに打ち出していくことができません。

「正しく構え、相手のいかなる変化にも直ちに対応できる心待ちで攻めていく」ということがひとつの考え方として活きてくるのではないでしょうか。

このように考えると、やはり姿勢や刃筋といった細かい要素にもこだわって稽古することが大切なのだと気付きますし、そのような気付きに導いていける指導者を目指したいものです。

解答例

以上を踏まえて「『懸待一致』について説明しなさい」への解答例をまとめましょう。

おおまかには、懸は攻撃すること、待は防御したり相手の様子をうかがったりすることであり、これらが切り離せないものであることを意味する言葉である。

攻撃のみを考えていては相手に打突の機会を与えてしまうことがあり、また守りにばかり回っていては充実した稽古とは言えないので、「正しく構え、相手のいかなる変化にも直ちに対応できる心待ちで攻めていく」というような意識で稽古に臨むことが大切である。

また、このように心掛けることによって姿勢や刃筋といった細かい要素についても先人たちが伝えた重要性を再確認でき、こうした気付きに導くことも指導者の重要な役割である。

※学科審査がレポート形式の場合などで本記事の内容をそのまま利用することは剽窃となりますので、ぜひこれを参考にご自分の言葉で考えてみてください!

この記事がみなさんのお役に立てば幸いです。

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